# [[理由の空間]]と可能世界
理由の空間と可能世界論(デンマークで検証したもの)に相関性があることが分かった。
もちろん、個人的にはプロジェクトが可能世界を動くものとして記述したい。
ただ、その当時には可能なことが可能であるということが何を意味するかを記述できなかった。
これを算術的に考えるとどうなるのか。
normalとnormativeの違いに近い。健康と病気の関係にも近い。
「正常」ではないが「戻り得るという意味において正常」という世界はあり得る
この幅にまずは治めるというプロジェクトの初期の話を
◇◇◇p →◇◇p
と捉えたのであろう。
もちろんnormal(正常)も厳密に言えば「規範に従うことが可能」という形を取るので、
◇p
によって意味づけられ、証明されるときにpとなる。
# ◇◇◇p
この時、「◇」◇◇p の「」の意味が重要になる
これって、「事後的に」明白になるということも大きい
というのは、これはnot ◇◇pによって示される領域だからである
一方で◇◇p というのもnot ◇pによってしめされる
その境界を示すことは「健康」「病気」を分けるくらい曖昧である
でも、その実境界が曖昧でありつつ、区別が明白(e.g. 東京とニューヨーク)という
ケースはあり得るのではないか
その場合に、「◇」◇◇p の「」の意味が面白い
というのは、一度何かしらの契機でnot ◇◇pが示されないと、「◇」◇◇pであると主張されえないから
仮説としては、これまでの我々が、◇◇p に現れている。
そして、それでもなお辿り着きたい、あるいはできると確信している「人がいる」
この「なお」の要素が「◇」◇◇p の「」に現れていると考えたい
そして、これは全員がそう思った時点で◇◇pとなるというところから、
「◇」◇◇pが個人の様相である(ビジョナリー)ということになる
だが、全員がそう思ったら◇◇pとなるのか?そんなことはない
全員であることは原理的に無理である
どちらかというと、この病理を直してく担い手が(PJチームが)確信したら◇◇pとなると
考えるべきだろう
なぜなら逆説的に確信できないなら実現できないから
でも、もし、確信できなくても実現に向けて動き出せるなら◇◇pである
リーダーがそう思ってるならそう思っても良い。だが妄信しているのではだめだろう
究極的にはだれもそう思ってないのに◇◇pだし◇pというケースもあり得る
インターネットとかはその例かもしれない
とすると、観察者がいない様相を話している可能性はある
すると、それを「外的にも」「内的にも」観察できる可能性が担保されないならば、
語る権利はどこにあるのだろうか?おそらく、その利便性にあろう
個人的には、算術に利便性があり、その副産物としてこのような区分けが示唆される、
くらいがおさまりが良いように思われる
# 理由の空間における浸透(あるいは逆)とは
理由の空間において目的が手段の手段になる瞬間がある
実は並置されているのではないか
# 再参入との違い
偶数奇数
安定化作用
再参入は狙ってやる特殊操作でありプロマネの領域
# 操作可能性と完全性
究極的には自分と対象から分化している
再参入と浸透で偶数奇数どちらも操作できることが分かる
逆に、どんな状況も自分と対象に集約されて、
最終的には理由の空間「だけ」と置き換えることさえ可能である
# 身体の両面
能動と受動
なぜ外的環境のみならず身体が重要性を帯びるのか
それは身体が現実の操作体であるとともに感受体でもあるから
理由の空間のほころびを感じるのも、操作するのも身体だけである
だから実存に関わるのかもしれない
そこから始まっているのがプロジェクトである
# 方向性を持たない調整
何を軸に調整されているのだろうか?
理由の空間の維持に個人が奉公しているのか
理由の空間の拡張が目的なのだろうか?
おそらく、理由の空間と身体が共存しているというのが
最も説明として納得いくだろう
方向性があるわけではなく、理由の空間のほころびは身体を危ぶめるので修正するし、逆も然りである。そういう共依存関係が成り立っていて、協力はこの意味ですでに我々の実存に組み込まれている。
そして、もし理由の空間や身体の両方にとって違和的な適用必要性(ほころび)があれば協働して適用していくべき、という話であり。あくまで調整して安定する機構が備わっている(複雑適応系)であるだけであり、目的を有していると考えると語弊がある。
# 両辺の理由の空間
思考実験したい
名指された時点で宇宙
宇宙の組み合わせ
# エントロピーはどこが低いのか
どこを固定と措定するかによる
とすると主題化されているエントロピーが最も低くなるのではないか
そういう高い低いの操作によってダイナミックに理由の空間を記述し直しているのが
人のロジカルな思考なのではないか
もしそうだとすると、そのプロジェクトの温度を測る意味はもしかしたらあって、
少なくともその今なされている区別の抽象度で計ることができるのではないか
エントロピーが不確実性であるとするならば、
例えば、いま行った区別がどの位の幅を持ったのか
(他でもなかった可能性がどれくらいあったのか)を見ることで、
疑似的には区別のエントロピーをみることができるのでは?
とはいえ、それはその「次元」におけるエントロピーなので、
そもそも、エントロピーを階級的に見ることすら可能なのか分からない
例えば、超抽象的なレベルでエントロピーが非常に低い可能性がある
だとすると、その区別の選択が「エントロピー高いよね」と言えるのは、
それが下位の様々な選択を含意しているからなのかな…
でも含意しているなら含意しているだけエントロピーは下がる
そうおもうと、結構相殺して、実は常に理由の空間のエントロピーは全体通して
一致すると言う事があり得そう
そしてエントロピーが変化したかどうかは、同一性の破れと解消によってみられる
(受け入れるべき他者性が生じたかどうか)のだとして、
理由の空間というのは宇宙全体だとすると、宇宙の外から観察する神でもない限り
エントロピーは計測できないんじゃないかな
# 圏論
これまでの話と圏論って似てる気がする
[Haskell/圏論 - Wikibooks](https://ja.wikibooks.org/wiki/Haskell/%E5%9C%8F%E8%AB%96)