隣の個体と遺伝子を交換するときー例えば「自分」の構成を80%も置き換える作業をするときーどんな心地がするのでしょう。はやく新しい自分になって動き回ってみたい、そんな感じでしょうか。あるいは、みんなが取り入れてるから自分も…と特に理由なく、流行に乗るのかも知れません。そうしてみたことで自分が立派になったように感じたり。または流れに逆らって、他の誰も持っていない自分だけのものが欲しい、と思ったりするのでしょうか。
八木さんの記事を読みながらそんな想像が捗るのも、エリック・レイモンドの「The Cathedral and the Bazaar ([[伽藍とバザール]], 1997)」に描かれた、バザール方式を思い出したからです。
バザール方式は、オープンソースプロジェクトとして成功した Linux コミュニティを駆動する原理として、エリック・レイモンドによって見出された在野の文化人類学の成果です。ローカルな取引が縦横無尽に行われるバザール会場のような、一見無秩序な活動が、時として「カテドラル (伽藍) のように構想され、構築」されたものよりも素晴らしい成果を生み出すことがある。そしてそれはもちろん無秩序などではなく、いくつかの行動パターンの帰結として説明することが可能であり、また意図的にコミュニティをその方法 (バザール方式) で運営することで、その生産性を再現することも可能である。おおよそこういった内容になるでしょうか。
私は破壊された自己の DNA を修復するために隣の人から借りたことはありませんが、その活気ある世界を、既に経験しているように感じています。それは Linux に代表される数々のオープンソースプロジェクトの恩恵を、日々直接受けているからです。その成果を手にすること (より具体的には、自分のコンピュータへダウンロードすること) は、魔法の呪文が自分のところへやってくるように、自分一人では一生かかっても生み出すことができない質、量を、一気に自分の手もとに置く体験です。世界が自分であり、自分が世界であると感じられるような感覚、万能感とでも言うべきでしょうか。何万行もの「他者からの贈り物」のコードの上に自分が書いた1行を置く体験は、「私の小ささや限界」を感じさせるどころか、忘れさせてくれるものです。
私がここで強調したいのは、ひとりひとりの成果が贈り物のように交換され、その全体が継続的に進化する世界を私たちはすでに持っている、ということです。しかしなぜそんなことが可能なのか?
努力の成果に見返りを求めず、そのまま共同保有の世界に溶け込ませる行為は利他的に見えたり、強力な善意の存在を想起させるかも知れません。しかしそうなると、そんな高い道徳を可能にするものがどこからやってくるのか。[[オープンソース]]のハッカーはみな「境地」が進んだ坊さんたちなのか?そうでなければその世界において何かの事故があって「私」はどこかにいってしまったのか?そう思うのもやむを得ないでしょう。
エリック・レイモンドもそんな疑問を察して、バザール方式を発見すると同時に「インターネットのハッカーたちを『エゴがない』と呼ぶなんて、つい笑ってしまうではないの」と書いています。実際、The Jargon File にまとめられるような不完全さをもち、美的なこだわりはあっても社会性が高いとは決して言えないある典型を示す人たちは、聖人であるかのように言われたらアレルギーを起こしてしまうに違いありません。
バザール方式は、その結果として高品質なソフトウェアや、報酬によらない協調的なコミュニティを生み出したとしても、その原理に高尚な精神を必要としているわけではありません。むしろ根源的な意味でのエゴの充足によって駆動されるものでしょう。エリック・レイモンドは美しい文書で、そのことを詳しく描き出しています。
だからきっと微生物たちの「驚くべき」振る舞いの内実も、そんなものなんじゃないでしょうか。オープンソースプロジェクトの現場で個性的なハッカーたちが喧々諤々やってきたように、微生物の DNA の交換の現場も、同調と離反、保身と挑戦、虚栄と高貴なプライドがごちゃまぜになった、エゴがぶつかりあう活気ある世界なのではないでしょうか。自分の「ソースコード」を80%置き換えるとき、確かに怖いには怖いでしょうが、変わることについてわくわくしてなければそんなことをする必要もないのです。そこには変化への意欲とそのための機会が、熱気となって渦巻いているはずです。そのとき「私」は、維持すべきものというよりも、新しいソースコードを走らせるための器でしょう。
「The Cathedral and the Bazaar」は、当事者たちが集う Linux 開発者会議で発表されるとたちまち好評を博しました。そのことによってエリック・レイモンドは、自身が「seeing people as they see themselves」に成功したことを証明したと言えるでしょう。微生物たちにあなたたちはこんな感じ?と問いかけることは難しいですが、興味をもって観察し、そのことについて考え抜き、自分でも同じようにやって確かめれば (エリック・レイモンドは Linux をまねてプロジェクトをひとつやってみた経験をもとに、「The Cathedral and the Bazaar」を書いています) 、その心地を知り、そのように振る舞うことも叶わないことではないでしょう。