[[アジャイル]]の解説を試みる書籍シリーズ「アジャイルソフトウェア開発」の企画者であり執筆者、あるいは KPT (Keep Problem Try) メソッドの発案者として知られる[[Alistair Cockburn|アリスター・コーバーン]]は、アジャイルマニフェストに署名した17人の中でも、シーンを代表する筆頭のひとりに数えられる人物だろう。 IBM とスウェーデンの銀行システムの開発現場で得た経験を背景に、コーバーンがまとめた各種の知恵の集成は、いずれも明瞭な構成と、現場主義的で率直な表現に貫かれている。データモデリングの専門家に向けて書かれた「ユースケース実践ガイド」はもちろん、技術職ではない役員やプロジェクトマネージャーを読者に想定しているとされる「アジャイルプロジェクト管理」でさえ、その冒頭はこれを知らなければ[[アジャイル]]を手がける資格なし、といった趣のシリアスなオブジェクト指向プログラミングの解説に費やされている。決して読みやすいものではないが、その思想的な背景が、妥協のないプロフェッショナルの現場から発していることがよくわかる。 2001年、思想を共有する複数の方法論が合流してアジャイルマニフェストが起草されるとき、コーバーンは「クリスタル方法論」をもってそこに参加していた。しかしクリスタル方法論には、[[Extreme Programming|エクストリームプログラミング]]や[[Scrum|スクラム]]とは単純に並べられない特殊性がある。方法論でありながらもその不可能性から出発し、方法論構築の方法論として提示されているのである。 クリスタル方法論は、方法論を組み立てるために必要な部品や、コミュニケーションの基盤になる見取り図を提供しつつ、コピー可能な全体像を描くことを避けているように見える。画一的なパッケージを配る代わりに、あらゆる組織やプロジェクトに、その事情に応じて意識的に、自らの方法論を構築することを求めているのである。そのぶん、[[アジャイル]]の原則や、思想的な核心を力説している。 コーバーンの[[アジャイル]]にまつわる主張は、どんな状況でも見失うべきではない原則と、小さくても確実な前進をつくる技術の両面によって提示されているように見える。そして、コーバーンの語りに頻繁に登場する「ゲーム」という語に象徴されて、一見両極端な材料のあいだにひとつの世界が立ち上がる。ソフトウェアの力を借りてビジネスを成功させるために「ソフトウェア開発ゲーム」を円滑に進めよう、プロジェクトは与えられた条件下でコミュニケーションをどう発展させるかという「協調ゲーム」である、など。これがコーバーンの思い描く[[アジャイル]]が実現する世界なのだろう。 ゲームは、パターン化した実践によって制することはできない。ゲームに必要なのは適合である。ゲームを成り立たせている環境と、その結果を左右する力学を正しく理解し、プレイヤーがそのなかで多種多様な状況に対応できるようにすることが必要である。この考えは結果として、ソフトウェア開発を、ビジネスの遂行手段という地位から開放している。ソフトウェアは自ら発展するとき、もっとも成功するのである。このあらゆる自律・協調の議論に通じるであろう存在論の転換が、コーバーンの主張の根幹に据えられているように思われる。自ら参加し、楽しむことによって成功する現場。それこそがソフトウェア開発の現場で見出され、[[アジャイル]]によって昇華された、ハッカー文化の美徳であろう。 [[Alistair Cockburn]]