UNIX は、息の長いオペレーティングシステムの系譜であるだけでなく、ハッカーの自己像を左右するという意味でその文化圏の重要トピックのひとつであり続け、歴史上いくつもの騒動を生み出しつつ今日に至っている。そのビッグワードをタイトルに掲げて1994年に出版され、古典として読まれている本に「UNIX という考え方」(オーム社) がある。その著者がマイク・ガンカースである。 ガンカースは「UNIX Philosophy (原題)」を、その9つの教義を通して説明する。スモール・イズ・ビューティフル、効率より移植性、一つのことをうまくやろう、できるだけ早く試作を作成する…など一連の教訓と、どの根底に流れる主義の解説である。それは、ゲームを移植したいという個人的な動機によって生まれ、後にソフトウェアコミュニティによって育てられた歴史的経緯や、それ自体が小さなツールの集合体として成立している技術的なありようを、なぜそのようにあるのか、どのように扱うと壊れてしまうのかを提示することを通して描き出す、巧妙なレトリックであるように思われる。「[[イノベーションの神話]]」のスコット・バークンは誤解から出発して真実まで読者を案内しようとするが、「UNIX という考え方」は全く逆に、UNIX を支える精神を、姿そのままに描こうとしている。 ガンカースは、「UNIX Philosophy」の10年後に「Linux and the Unix Philosophy」(Digital Press) と題した改訂版を出版している。ガンカースはこの著作の中で UNIX 哲学の解釈を拡大し、Linux と Windows を代表例とするオープンソースとプロプライエタリの対立、サンマイクロシステムズの Java の成功、[[Extreme Programming|エクストリームプログラミング]]の台頭など、90年代に起こった広範な現象を、UNIX 哲学の潮流の中に位置づけようと試みている。 それらは UNIX なのか?と問うてしまうと、そうとも言えない面を考えざるを得ない。大雑把にすぎるという批判は免れないだろう。しかしガンカースの関心が、その背景にある、見出されるべき信条にあるとすれば、UNIX はそのための入り口にすぎないと考えることができるだろう。UNIX だけではない。インターネット、[[オープンソース]]、[[アジャイル]]、ハッカー…そのどれもが、信条そのものの呼び名としては、不十分であるということは認めなければならないが、しかし、それらの背後にある何か、と呼ぶ以外にどうすることが可能だろうか? UNIX を通してそちらの世界を案内しよう、その存在を祝福しようというガンカースの試みは、この困難さの上にある。 ところで、UNIX との関わりについて、ガンカースのプロフィールには Digital Equipment Company (DEC) 社のエンジニア時代に手がけた Ultrix Window Manager (uwm) の開発が挙げられている。uwm は DEC 社のコンピュータ製品で動作する UNIX の派生バージョン、Ultrix で動作するグラフィカルユーザーインターフェイスの実装で、のちに X Window System の標準インターフェイスとして広く使われた。これは確かに、DEC 社のエンジニアとしての職務を超えた、UNIX 生態系への貢献と言うべきものだろう。 しかし uwm 以外の業績について、社内文書の検索システムや、その後在籍した企業における在庫管理システムなど、業務アプリケーションのプロジェクトへの関与がいくつか紹介されているものの、それらが UNIX の歴史の本流を成す活動であるかというと、そうでもないと言わざるを得ない。UNIX 哲学の語り手という看板に比較すると、ガンカース本人のキャリアは UNIX に対して周縁的な位置にある。 このことは「UNIX という考え方」が30年にわたって、その伝統を知るために読むべきものであり続けた、重要な背景になっているように思われる。思想の境界に立つことこそ、正しく伝道師であるために必要なことだろう。マイク・ガンカースのように UNIX を生み出した「何か」を見つめ、その魅力を語ることは、コミュニティの中心にいる有力ハッカーにとって簡単ではないはずだ。 [[Mike Gancarz]]