オレゴン州ののどかな環境に20エーカーのプライベートな牧場をもつことを望み、バンジョーの演奏や、家族とすごす時間のプライオリティの高さを[強調](https://wiki.c2.com/?KentBeck)するケント・ベック。自らを職歴や開発実績を通して語ろうとはしないが、実際には過酷な現場をくぐり抜けてきた一級のプログラマーであり、チームリーダーであり、ソフトウェア開発手法の研究者である。
ケント・ベックのプログラマーに対するメタな視点、あるいは研究者としての追求は、学生時代からすでに始まっていたようである。建築家を志す学生たちと同じ寮にいたことをきっかけに、[[Christopher Alexander|クリストファー・アレグザンダー]]の「[パタン・ランゲージ](https://kajima-publishing.co.jp/books/community-development/qajola0arj/)」に触れることになる。テクニックに溺れるソフトウェアエンジニアに対して感じていた自らの違和感と共通するものを、建築家について展開される批判の中に見出したことを、[[Christopher Alexander|クリストファー・アレグザンダー]]との出会いの体験として振り返っている。建築設計における問題解決を集成した[[Christopher Alexander|クリストファー・アレグザンダー]]のパタン・ランゲージは、のちにソフトウェア開発のパタン・ランゲージに目覚め、発展させていくケント・ベックの原点となった。
ケント・ベックは90年代を通して、ソフトウェア開発の現場に身を置きながら、プログラミング言語 Smalltalk の実践手法、テストの自動化フレームワーク、設計のブレインストーミング手法など、有用な実装や知見を次々に発表し、最終的には[エクストリームプログラミング](http://www.extremeprogramming.org/)に至る。[[Extreme Programming|エクストリームプログラミング]]は、歴史上見出されたソフトウェア開発についてのベストプラクティスを統合しつつ、社会的な要請にも応えていくための方法論で、インターネットとパーソナルコンピュータの普及によって急激に拡大する開発ニーズを背景に、開発者の支持を広く集めることになった。2001年、[アジャイルソフトウェア開発マニフェスト](https://agilemanifesto.org/)を発表する17人にケント・ベックが名を連ねたのは、台頭する[[Extreme Programming|エクストリームプログラミング]]を代表する人物としてである。ケント・ベックが建築との類似性のうちに見出したソフトウェア開発の本質は、このマニフェストを契機としてアジャイルという大きな潮流と合流し、ソフトウェア開発の領域を超え、ビジネスの世界にも広がっていくことになる。
2022年になって[ひとつのエッセイ](https://medium.com/@kentbeck_7670/help-geeks-feel-safe-in-the-world-my-personal-mission-a3968a94dff5)が公開された。「Help Geeks Feel Safe In The World: My Personal Mission (ギークが安心できる世界のために: 私の個人的な使命)」と題されたテキストの中で、ケント・ベックは自らの過去の活動を総括し、その意義について「explaining people like me to people unlike me (私と同じような人々について、私と違っている人々に説明すること)」と書いている。自ら作り出した道具、見出した知見を30年、40年とソフトウェア業界に提供し続けた続けた上で、あとからその価値に気づくというのは、自然に高いレベルに到達してしまう、天然のハッカーにしかできないことだろう。
しかし朗らかで人間的なトーンを身に纏った、ハッカーの良心とビジネスの世界を調停する、謙虚な伝道師は、一方で、ビジネスの論理は速度や価格と引き換えに妥協を要求するが、品質は譲ることができない、と強い調子で言い切ることもある。鳥のさえずりに囲まれる穏やかな暮らしを引き合いに出す執拗さは、ハッカー (ケント・ベックはギークと呼ぶ) 文化の代表者として、その静謐さを守り抜く、揺るぎない覚悟と対応しているように思える。
[[Kent Beck]]