Linux コミュニティを紹介した[[[伽藍とバザール]]](https://www.aozora.gr.jp/cards/000029/card227.html) など、重要なテキストを著しているエリック・レイモンド。自身は謙遜しているが、インターネット以前からプログラムを書いてフリーソフトウェアの運動に参加してきた、立派なハッカーである。 その著作によって、ハッカー文化の研究者として知られるようになったが、界隈ではスポークスマンとも呼ばれている。実際、エリック・レイモンドによるハッカー文化の擁護者としての活動は、著述家の域を超えている。たとえば[オープンソース・ソフトウェア](https://www.oreilly.co.jp/books/4900900958/) (オライリー・ジャパン) の最終章には、1970年から2000年まで、ハッカー文化のスポークスマンを自覚するまでの30年間について、本人による詳しい説明がある。その最後の場面を少しだけ紹介しよう。 インターネット黎明期、 Netscape 社の提供する Netscape Navigator はブラウザ業界の中で支配的な地位を占めていた。1998年、その Netscape Navigator のソースコードが公開される、という画期的なできごとが起こる。私企業による、商業的価値の高いソフトウェアのソースコードの公開は、現在では珍しくないものの当時の常識では考えられないことだった。 エリック・レイモンドは、Netscape 社に請われてソースコードの公開プロジェクトのアドバイザになった。ビジネスとプログラマの両方の世界に、どのように Netscape 社の試みを受け入れてもらうか、真剣な検討の先頭に立つ役割である。 この Netscape 騒動から生み出されたものはいくつかあり、そのひとつがオープンソース・ソフトウェアという呼び名だった。当時、ソースコードを公開するための手法の筆頭はフリー・ソフトウェアで、Netscape 社がそのまま採用すれば、ソースコード公開後の Netscape Navigator はフリーソフトと呼ばれるはずだった。エリック・レイモンドがアドバイザとして指名されたのも、長年フリー・ソフトウェアコミュニティの一員であり、その手法の紹介者として知られていたからである。しかしエリック・レイモンドは、無料を意味するフリーという言葉が誤解を招くという理由から、フリーソフトという呼称とそのライセンスの採用を拒み、Netscape と将来のソフトウェア世界のために[[オープンソース]]という呼び名を新たに作り出した。この操作を、エリック・レイモンドはマーケティングと呼んでいる。ハッカーの国を代表してビジネスの世界に向けてメッセージを送る、スポークスマンの自覚がここに表れている。 そして同時に、キャンペーンが一段落したら、スポークスマン役からは身を引きたいとも書いている。その理由は、コードを書く時間が犠牲になるから。スポークスマンは、あくまでも、一人のハッカーが使命感から引き受けたロールにすぎないのである。 [[エリック・レイモンド]]